沖縄三線と奄美三線の型の話

三線の形

奄美三線の形

奄美大島の三線、島唄に付いて好き勝手に書き綴り、弦やバチの違いと言った部分を紹介してきましたが、今回は、奄美・沖縄に関係なく、三線の形について書いて見たいと思います。

>>> 奄美三線のバチ
>>> 奄美三線のルーツ
>>> 奄美三線と沖縄三線

結論から言ってしまうと、これまでも書いたことがある通り、この形が奄美の三線の特徴だ、という形はありません。

奄美の三線は沖縄から伝わったもの、そういう風に文献にはありますし、亡くなった私の爺さんや諸先輩たちから幾度となくそんな話を聞いているので間違い無い話でしょう。

沖縄から奄美へ伝わり内地へ、沖縄から奄美を飛び越えて内地へ伝わり奄美へ、もしかすると両方かも知れないし、本当のところは判りませんが、今流通している奄美の三線は、ほとんどが沖縄の三線で言う「真壁型(まかびがた)」という形だと思います。

なぜ、真壁型ばかりなのか?という話をするのに、奄美三線のルーツである沖縄の三線の形について知れば、その答えはイメージしやすいかなと思います。

沖縄三線の形は大きく別けて七つ

よほど三線に入れ込んでなければ知っている人は少ないと思います。(かくいう私自身も、一本の三線を手渡されてこの三線は○○だと言い当てることが出来るかと言えばそうでもありません)

沖縄の三線は、大きく別けて七つの形があります。

 南風原型(ふぇーばるがた)

 知念大工型(ちねんでーくがた)

 久場春殿型(くばしゅんでんがた)

 久葉の骨型(くばぬふにがた)

 真壁型(まかびがた)

 平仲知念型(ひらなかちねんがた)

 与那城型(よなぐしくがた)

中でも、真壁型の流通が一番多いのです。

真壁型の三線は細身の棹で、七つある三線の形の中でも最も美しいとも言われており、抜けるような柔らかい高い音は手の小さい女性にも扱いやすく、バランスの良い万人向けな三線として人気です。

天の邪鬼な私などは、七つの型の中でも一番大型である久場春殿の三線を沖縄民謡を演る際には愛用していますが、流通する三線の8割から9割が真壁型だとも言われているのが現状です。

正直、どの形が一番だというのは、古典をやるか、民謡をやるか、後述する胴とのバランスに加えて好き嫌い、幾つもの各自の好みの様な物があるので、どれが一番良いなどとは絶対に言えません。

さらに、同じ真壁でも、職人によって微妙に違った作りになっていたりするのが三線です。

一番人気の真壁型以外の六つの形以外にも、複数の形を取り入れた、三線の天(頭の部分)は真壁なのに、それ以外が違う、そんな感じのハイブリットな三線も存在します。

私が初めて手にした三線は沖縄三線なのですが、その三線は天は真壁っぽく、明らかに竿が太くて与那城のような感じの三線です。

話が少しずれましたが、こうして、流通が多いために、奄美でも必然的に真壁型の三線が目立つというワケです。知念大工や久場春殿の奄美三線などを私は見たことがありません。

細身が特徴の久葉ぬ骨形の奄美三線など、女性が持つと美しいのでは無いかと思うのですが。

三線の銘器 開鐘

楽器というものには、銘器と呼ばれる一本が必ず存在するものです。

バイオリンの銘器、ギターの銘器、サックスの銘器、、、
三線の世界にも銘器と呼ばれる三線が存在します。

開鐘(けーじょう)

沖縄三線の世界には、開鐘と呼ばれる言葉があります。

早朝、首里のお城の門を開く際に打つ梵鐘(ぼんしょう)の音のように、遠くまで鳴り響く良い音にたとえて、沖縄三線の銘器に与えられる言葉です。

尚穆王の時代には真壁形の三味線を集めて弾き比べをする催しがあり、その際に、夜明けの鐘(開鐘)が鳴り響く暁まで良い音色を出し続けた五挺の三線を五開鐘と呼び、五開鐘は先の戦争をくぐり抜けて、今の時代にまで残されています。

こんなエピソードをメディアが紹介したことによって「開鐘=真壁型」という風潮が出来上がったのも真壁の流通が多い理由として上げられます。

「梵鐘のように良い音がする = 開鐘」と言うのは美しくなんとも素敵な話だと思いますが、「良い音がする三線=真壁型」と言うのは、いくら真壁形がバランスの良い三線だとしても、少々違う話ではないかと思うのですが、、、

ちなみに、暁まで鳴り響いた五開鐘というのは、それぞれ名前がつけられていて、

 盛嶋開鐘(ムリシマ ケージョー)
 翁長開鐘(ヲゥナガ ケージョー)
 志多伯開鐘(シタファク ケージョー)
 湧川開鐘(ワクガー ケージョー)
 富盛開鐘(トゥムイ ケージョー)

と呼ばれ、県の文化財に指定されており、中でも盛嶋開鐘は銘器中の銘器と呼ばれています。(五開鐘にも諸説があって、上記以外の真壁三線を指す説などもあるそうです)

沖縄県立博物館・美術館にて展示されているので、三線好きなら一度は目にしたいと思うのは当然のこと、もちろん私も何度も見に行きましたし、これからも機会があれば足を運ぶと思います。不思議と、目にする度に新しい発見があるものです。

さらに、準開鐘と呼ばれる三線が十数挺もあるそうで、何度も書きますが、私などは良い音のする三線 = 開鐘 ぐらいにしとけばよいのに、と思ったりもしますが、三線と言う楽器は特に専門の研究が遅れているそうで、研究者の方々にとってはきっちりと研究材料にする必要があるらしく、そうもいかないようです。

三線の皮と胴

三線の胴

三線は棹こそ命、そんな風に教えられて、当たり前の様に「三線は棹が命だ」と長い間そう思っていましたが、皮に胴の違いによる音の違いは確実にあるということを私自身も実際に体感し、皮や胴はかなり重要なパーツだと思っています。

今も手元において愛用していますが、随分昔に、大枚はたいて奄美大島の某三線店で手に入れた奄美三線は、音が諸先輩方の三線に比べてこもった音がするのです。「ブッカ」です。

奄美全体でそういうかは判らないですが、あまり良くない音の三線をさす言葉は私の周りでは耳にします。こもった音のする三線を指して「ブッカ」みたいな呼び方をするのです。

「うらの三線やブッカじゃや」、こんな感じで使われます。

足繁く奄美民謡の教室に通うようになってようやく判るようになったのですが、以前に紹介したことのある、「三線工房きよむら」さんに持ち込んで、見て貰った際に指摘されたのが「皮の張り方がゆるい」「これは沖縄の三線の強めの皮の張り方ですね」ということでした。

早速、皮を奄美仕様に強く張り替えて貰ったところ、随分と柔らかく透き通った高い音がでる様に変わったのです。棹に幾ら良い木を使っていても、それだけでは駄目で、バランスが必要だということを学びました。

奄美では三線を棹から削って組み上げる職人は、既に書いた通り今では皆無、沖縄から仕入れた三線にそのまま奄美弦を張って販売する店もあるので、こういうことが起こるのでしょう。

奄美大島で購入すれば、良い奄美三線を手に入れることが出来るということは絶対無いので、注意が必要です。

きよむらさんの工房では、皮だけではなく、新しく奄美三線を組み上げる際には、胴に使用する枠木も分厚い物を使って組み上げ、奄美三線の強い皮の張りに負けない物を、というこだわりの一挺を作ってもらえます。

>>> 三線工房きよむら

あまり目にすることは無いと思いますが、沖縄三線の七つの形の胴も、内部はそれぞれに特徴があり、三線は棹だ、とは言い切れない奥深さが当然のようにあるのです。

奄美には三線工房は無い、と書きながら、奄美諸島の喜界島に棹からフルオーダーで作成をお願い出来る三線工房があります。沖縄で三線作りを学んで喜界島へ帰って来たと聞きました。

奄美大島から喜界島へは飛行機で15分、工房へ伺うにはなかなかハードルが高いなと思うものの、一度行ったことがあるだけの喜界島へ動画を見てもう一度と思ってる次第です。

奄美のオリジナル三線

今は、奄美大島では一から棹を削って三線を作る職人さんは居なくなってしまったのも、沖縄から流通する真壁が多い理由だと思います。

奄美でも盛んに三線が作られた時代があったのです。その職人たちの技を受け継がれていたら、奄美独特の型が育っていたかもしれ無いと思うと、少し残念ですね。

要は需要がなかったという時代の流れだったのですから。

グンムィサンシン

グンムィサンシン
(クリックして拡大して読めます)

奄美大島では三線の銘器を指す言葉は聞いたことが無いなと残念に思っていたら、奄美のローカル新聞に、三線の幻の銘器「グンムィ」と呼ぶ三線があるという記事を見かけました。

もちろん、初めて耳にした言葉ですが、記事によれば、明治から大正にかけて山田権太郎という奄美で活躍した三線作りの名人がおり、その名声は沖縄にも届いていたと言います。

権太郎の権をとって「グンムィサンシン」、奄美にもオリジナルの形の銘器と呼ばれる三線を作る人が居たことを嬉しく思う記事でした。

昔は奄美にもこんな三線もあった

奄美大島の三線の形

私の相方が持つ一丁です。画像では分かりづらいのですが、握りは細め、天の形が独特な曲線を描く、メイドイン奄美の三線です。

唄者であった彼女の祖父が使っていた三線を受け継いだ大事な一丁で、作った三線職人はもう何年も前に亡くなってしまいましたが、荒い作りながらも、ずっしりと重い、良い木を使った奄美らしい音の鳴る銘器だと思います。


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