三線の楽譜 工工四(クンクンシー)について

三線の楽譜

三線にも、もちろん楽譜は存在します、

実にシンプルで合理的な楽譜、工工四(クンクンシー)と呼ばれるものです。

三線の楽譜 工工四(クンクンシー)について

大阪在住の友人たちは、私が三線を爪弾く姿を見ると、必ず色んな質問を投げかけてきます。物珍しいのは間違いないでしょう、三線弾きなど大阪で普通に暮らしていたら、到底、出会うことなどないでしょうから。

「三線の皮はハブの皮?」
「幾らするの?」
「津軽三味線とは違うん?」
「自分が知ってる島唄と違う?」
「自分にも出来るだろうか?」

隙きあらば色んなことを尋ねられます。

個人的には、自分が熱中していることに、少しでも興味を持ってもらえるのは嬉しいという話で、当たり障りなく正しい情報を伝えるようにと心がけている次第です。

そして「南の島の三線にも楽譜があるの?」という質問、今回はその三線の楽譜と楽譜にまつわる話について色々と書きたいと思います。

私などは沖縄三線・奄美三線の両方たしなむもんですから答えは決まっていて、「沖縄にはあるけど、奄美には無いね」そんな風に話すことが多いです。

沖縄三線の楽譜 工工四の読み方

三線の楽譜

まずは沖縄。

沖縄の三線には「工工四」という楽譜があります、「工工四」と書いて「くんくんしー」と読みます。

内地に住む人にとっては、当たり前に馴染み深いドレミの音を、画像にある様に「合」「四 」「工」などと書かれている、ギターを弾く人なら、タブ譜のようなものを想像してもらえば工工四という楽譜の存在はイメージしやすいかと思います。

楽譜と言っても、一般的な工工四だとリズムの間は判らないし、押さえる場所(ツボ)も曲によって微妙に違ったりと、色んな意味でアバウトな部分もあるものですが、沖縄の三線弾きにとっては一般的なもので、○○の唄の工工四は持って無い?みたいな会話は一般的ですね。

工工四も奥が深くて、いわゆる沖縄ポップスと琉球古典などでは重要度も違いますから、それらは各自が三線にハマっていく過程で覚えて行けば良いのでは無いかと思います。

工工四の無料ダウンロード

三線屋に行くと、沖縄の民謡工工四とか島唄工工四などが売ってますが、今の時代、工工四はネットでダウンロードしたり、プリントアウトしたりして、無料で入手することが出来ます。

たとえば、auのCMで一躍有名になった「海の声 工工四」みたいに、ネットで検索すれば、一般的な三線曲であれば、大抵無料で手に入ると思います。

こちらのサイトなどはかなりの曲の工工四が無料で入手可能ですね。

>>> 工工四ひろば

奄美三線の楽譜が無い理由

三線の楽譜

沖縄の唄と違って、奄美のシマ唄の世界には、楽譜というものは存在しないと言って良い、一般的にはそんな感じです。

奄美の三線弾きが持っている、シマ唄の本はいくつも手元にありますが、中身は一般的に歌われる歌詞が並んでいるだけの歌詞集です。(サイズは沖縄の工工四と同じA4横サイズで統一されているのが不思議です)

シマ唄を伝えるという手段の中で、確かに諸先輩方が楽譜の類を残そうとした試みも実際存在するものの、それはまったく一般的では無く、その存在さえ知らない人も多いと思います。

奄美大島島内でも北(かさん節)と南(ひぎゃ節)、宇検村方面で歌われるエーチ節、さらに各集落の唄、さらにさらに各唄者の唄、同じ唄でも年代によって違ったり、歌詞などは幾らでも、大げさに言うと唄者の数だけ存在してしまいます。

たとえば、私の奄美の故郷の集落の唄「諸鈍長浜節」と言う唄があります。

奄美大島大島の北と南では、同じ諸鈍長浜節でも唄われ方は違うし、つい最近手に入れた、20年以上も前の私のじーさんが唄った諸鈍長浜の音源は、今の諸鈍長浜とはかなり違うもので驚きました。

それらをすべて拾い集めて、纏めることなど正直無理、楽譜として纏めるなど、現実的ではないでしょう。

「楽譜」的な物に一つの曲を集約してしまうことで、これだけ多様な奄美のシマ唄がすべて同じ唄になってしまう、奄美の唄い手がそれを拒んでいるから楽譜は普及しない、そんな風にも考えられるのではないでしょうか。

沖縄の離島に行ってもそういう唄は多々あって、工工四とは違うその島の唄というのが、今はまだ残っています。

後世に残そうとそれを楽譜化することでその土地々々で唄われてきた唄が消えてしまう、ちょっと残念な話だなと思うのは私だけでは無いと思います。

CDの功罪

武下和平

CDという今では当たり前の音源でさえ、その功罪が大きいのです。

先程紹介した奄美大島の諸鈍長島節は、竹下和平さん達、戦後の唄者のCD(当時はレコードやテープだった)で、奄美の人々の誰もがその唄を知ることとなりましたが、多くの人が、特に奄美南部の人は武下師匠の諸鈍長浜節を唄うこととなり、私のじーさんたちが唄っていた諸鈍長浜節は遠く忘れされる唄となってしまいました。

大島紬を織る傍らで、シマ唄のテープは無くてはならないものだったと紬を織っていた叔母達から聞いています。

昔の諸鈍長浜節の音源はわずかに私の手元にあるものだけ。今この唄を何らかの形で残さなければ、もはや消え去っていくのは時間の問題だということです。

諸鈍長浜節だけではなく、「ほこらしゃ節」や「やちゃぼう節」など、奄美シマ唄ではメジャーどころの唄でさえ、諸鈍という集落で唄われてきたそれらの唄は、CDでは聴くことの出来ない諸鈍ならではの幻の唄になってしまっています。

先にも書きましたが、おそらく、こういうことは、諸鈍だけに限らず、唄の盛んな集落では同じようなことが間違いなく起こっているはず、もっと言えば、沖縄の島々でも、こういうことは当たり前にあった、そんな話を宮古の唄者としたことがあります。

これからの奄美のシマ唄

荒削り、原始的な、良く言えば素朴で民謡らしい口伝という継承が当然の様にある奄美のシマ唄の今後は、「奄美のシマ唄」という一括りになってしまうのか、同じ様にこれからも口伝として受け継がれていくのか、興味深く見守って行きたいものです。

良く沖縄系の居酒屋などで奄美の曲を爪弾いていたりすると、その曲の工工四はないのか?みたいな話になるんですが、こんな訳で楽譜は存在しないのでした。

いわゆる耳コピ、私が通う奄美シマ唄の教室でも、マンツーマンで先生の指の動き、口の動きを真似て覚えろと言われ、沢山の唄を学びました。

奄美の唄に限っていえば、これが自分にとっては当たり前なので、沖縄の民謡も私は工工四がなくても、音源から一音ずつ拾って体で覚えるのがある意味普通になってます。

今、私が知る故郷の諸鈍の唄も、それを知る私などが、何かしらの方法で残さなければ消え去ってしまうのは本当で、それが「楽譜」なのか「音源」なのか判りませんが、奄美のシマ唄が抱える問題なのは間違い無いだろうと思っています。


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