奄美のシマ唄
沖縄の三線音楽と奄美諸島の三線音楽の話の続きです。
THE BOOM が唄う名曲「島唄」が大ヒットした時、島唄は沖縄のことをを唄った曲だと周知されたわけですが、奄美の人たちは「島唄」という言葉は奄美の物だ、と言いました。
奄美大島では、各集落の事を「シマ」と呼ぶのです。
「何処の村の出身だ?」とは聞かずに「何処のシマの出身だ?」と訪ねます。先祖のお墓参りに行く時は「シマに帰る」と言います。
任侠映画で見る、ウチのシマ(縄張り)、あれと同じです。
内地の人たちが「田舎はどこだ?」というノリと同じ様に「シマはどこだ?」と会話があるのです。
そして、各シマにはそれぞれの唄があり、それを「シマ唄」と呼び、歌い継がれて来たため、THE BOOMの「島唄」は南の島のことを唄った唄で、自分たちのシマ唄とは違うと、奄美の人たちは反応したのです。
沖縄での島唄
THE BOOM の名曲、島唄のヒットは沖縄でも物議を醸し出しました。
沖縄を唄った「島唄」が琉球民謡、沖縄の民謡として本土の人たちに伝えられ、広く知られることとなってしまったのです。
「本土の人間に『島唄』の名を安易に使ってもらいたくない」と言われ、「沖縄の人間で無い者が三線持って沖縄民謡の真似をするな」という痛烈な批判も多かったと言います。
最近Youtubeでこんな動画が公開されています、とても良い動画でしたので是非!
沖縄でも認められた島歌
話を戻しますが、ここでまた、ちょっと待ってくださいよ、という話です。
島唄という言葉は奄美群島の言葉だったのでは?
沖縄の方々は、一般的には三線音楽を王宮に伝わる古典音楽と市民の中で歌われてきた民謡とに分けて呼ぶことが多いです。島唄を聞きに行こうとは言わずに、民謡を聞きに行こうですし、島唄は良いねーとは言わず、民謡は良いねーって言います。
とは言え、もう、島唄という言葉は既に当たり前な言葉になってしまっているのも間違いなく、音楽も言葉も生き物だと受け入れるべき話になったと理解するしか無いと思っています。
なにかの企画で、民謡界の大御所の先生たちが THE BOOM の島唄を合唱しているのを見てもの凄く驚きもしましたね、内地の者が島唄という唄などけしからんって話は実際に耳にしてましたから。
今では、沖縄の民謡酒場などでも THE BOOM の島唄は当たり前に歌われるのもご存知の通りです。
最近、これも体感しているんですが、沖縄の、たとえば観光客の多い民謡酒場や三線店の方などは、内地から来る我々には、島唄という言葉を使ったほうが判りやすいからと、あえて使っているのも本当のことです。
島唄は奄美のもの、などという屁理屈はもう必要ないし、もしかすると島唄は奄美のものだという解釈自体がおかしいのでは無いかと最近では思ったりもしています。
ここのところ、沖縄本島よりも、もっと南の宮古島へ暇を作っては足を運びますが、その地の民謡は、圧政の下、三線という楽器などは高嶺の花、伴奏なしの唄が歌い継がれてきたという話、奄美の民謡がたどってきた歴史と同じです。
集落(シマ)ごとの唄もあるとの話も耳にするし、会話の中で、盆正月はやっぱりシマ(自分の田舎の集落)に帰る、みたいな言葉を耳にすると、宮古の民謡も島唄なのだなと思ったりする訳です。
奄美民謡大賞とシマ唄の定義
沖縄音楽は宮廷で披露された沖縄古典音楽や一般的な沖縄民謡など、幾つかののジャンル分けがされていますが、奄美大島の民謡も、流石に宮廷音楽はありませんが、一定のジャンル分けが存在します。
奄美民謡大賞という島唄の大会があります。元ちとせや中孝介といった、現在メジャーで活躍する唄い手も、若かりし頃は、この大会に出場して賞を受賞しています。
この大会での課題曲というのが、もちろん、奄美民謡を唄うのですが、シマ唄の定義として「作者が判る近年作られた唄は不可」だったりするのです。
たとえば、奄美民謡のライブなどでは、終盤に必ず演奏される定番曲の「ワイド節」などは坪山豊さんが作った近年の唄だ、ということで、ワイド節を持って民謡大会には出場出来ないのです。(流石にワイド節で大会に出る者は居ませんが。)
三沢あけみさんが唄った「島のブルース」や田端義夫さんの「島そだち」などは新民謡としてこれまた別物として扱われる唄があります。
あと一つ、奄美シマ唄では大きく奄美大島北部で歌われる「かさん唄」と南部で歌われる「ひぎゃ唄」に分けられます。同じ曲名の唄でも、まったく違った歌いまわしがされるのです。