奄美島唄の伝承

諸鈍長浜 デイゴ並木

奄美のシマ唄

シマ唄は奄美の各集落で唄われてきた唄だという話を、以前に書いたことがあります。こちらの記事です >>> 島唄は奄美群島のもの

奄美では各集落をシマと呼び、その島々で唄われてきた唄が島唄だという話で、今回は更に深く、島々で唄われてきた島唄について書いてみたいと思います。

 

諸鈍長浜節

デイゴの花が咲き始めた、子供の頃に過ごした、加計呂麻島(カケロマジマ)の諸鈍(しょどん)へ、母親と二人で帰省しました。

諸鈍の記事はこちら >>> 奄美大島 加計呂麻島の諸鈍(しょどん)

でいご並木が続く、諸鈍の美しい砂浜を唄った諸鈍長浜という唄があります。

諸鈍の縁者としては当然、お気に入りの唄として、随分稽古しましたし、私が通う奄美の三線教室でも合奏のお題としてあるぐらいに、奄美民謡の中でもテンポの良い人気のある曲としてあります。

ところがです、先日の帰省の際にこの曲を披露したところ

「お前の諸鈍長浜節は違う」

と叔父たちから指摘されたのですね。

諸鈍の縁者なんだから、諸鈍に伝わる諸鈍長浜を演りなさいと。

興味深い話であり、シマ唄の儚さでもある話なのですが、私達が子供のころ(まだほんの一昔前の話なのですよね?)録音技術も何もなかった時代、もともと唄われていた諸鈍長浜節が残っている音源がほとんどありません。

今、唄われている諸鈍長浜節は、例えば以前もYoutubeで紹介した、竹下和平先生が唄う諸鈍長浜節だったりするのです。

 

ほこらしゃ節

ほこらしゃ節もまた、諸鈍長浜節と同じく、もともと諸鈍で唄われていたほこらしゃ節とは違うほこらしゃ節があります。

このほこらしゃ節は、これもまた以前紹介した諸鈍シバヤでも唄われている唄で、諸鈍の人は諸鈍長浜節と共に好まれる唄です。>>> 諸鈍シバヤ

手元に一枚のCDがあります。

このCD音源、なんと、私の爺さん達が諸鈍シバヤで三線を弾いていた時代の音源で、ここには諸鈍長浜やほこらしゃが唄われているのです。音も荒く、聞きづらい音源ですが、お宝なのは間違いありません。

 

何故 昔の唄が無くなったのか?

きゅらむん 唄遊び

昔の唄が無くなった原因は、我々の世代の者が、シマ唄を唄わなくなった、唄遊びがなくなった、というが一つにあると考えます。

昔は娯楽といえば、唄遊びを中心としたものだったと聞きます。今とは比べ物にならないぐらいに、あちこちから三線の音が聞こえてきたといいます。

爺さん達の子供、私の親の世代には既に受け継ぐ者も少なく、その子供の次代、私の世代になると、更にシマ唄を演る者がいなくなったのです。

私らが子供の頃はシマ唄=年寄りの格好良くない音楽、みたいな思いが確実にありましたから。

今でこそ、学校の授業でシマ唄が出てきたり、奄美の誇りであるシマ唄を絶やさぬようにと、奄美群島全体の取り組みも行われているそうですが、私の時代などは、方言を使うことも禁止されたいたこともありました。

その為に、多くの島の文化が失われてしまったのは間違いないでしょう。

近年、20代、30代の若い唄者の活躍で島唄にもスポットがあたりはじめましたが、ほそぼそと、なんとか受け継がれてきた文化、シマ唄です。

我が諸鈍の唄も、世代交代する際に、若者たちが伝え聞いた唄よりも、参考としたのが、やはりCDで聞くことが出来る音源だった訳です。

ここには書けない幾つもの話も聞いていますが、シマ唄をCDの音源で聞き、島で暮らしていると、名人と呼ばれる人を間近で見るチャンスもあるでしょう、どんどん唄が変わっていくことは、ある意味仕方のないことであるのも間違いありません。

言葉と同じです。大阪弁ひとつ取っても、摂津と河内に泉州と言葉が違ったのは当たり前、それが今では大阪弁と大きく一括りです。これは全国各地で起こっていることです。

奄美の各島などは、ひと山越えた島の言葉が違い、言葉を交わせばどこの島の者なのかが、判ったぐらいだったのですから、唄が違うのも充分うなずけます。

そして、今では、奄美に住んでいても、都会と変わらない情報が入ってくるのですから、唄が変わっていくのは無理もない話でもあるなという結論もあります。

 

昔の唄の復活にむけて

奄美三線

歌は世につれ世は歌につれ、変わっていくのが本来の姿だという面もあるのは本当で、もうどうしようもない所まで来てしまってるとは思いますが、諸鈍の唄者の縁者として、最近、爺さんの時代の唄を復活させようという動きが、唄遊びの仲間内では始まっています。

諸鈍以外の各シマでもこういった話はあると言います。同じ加計呂麻島出身の私の三線の先生なども、諸鈍は特に唄が盛んで、他にも幾つかの諸鈍ならではの唄があると聞きました。

例えば、奄美全島でよく歌われる「野茶坊節」なども、諸鈍の野茶坊節があるそうです。

さて、どこまで届くかは判りませんが、島に住む叔父などの記憶や古いテープなどをとにかく今の間に見つけ出して、諸鈍の唄を復活させることが出来たならば、こんなに嬉しいことはありません。

昔の諸鈍長浜節を紹介することが出来るかもしれません。


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