奄美大島 加計呂麻島の諸鈍(しょどん)

フェリーかけろま

諸鈍集落

奄美大島の南端にある、加計呂麻島(かけろまじま)の諸鈍集落へ行って来ました。加計呂麻島は昨年の夏にも訪れたばかりですが、今回はその加計呂麻島の集落のひとつ、諸鈍にじっくり滞在し過ごしました。

諸鈍は母の実家が有る集落で、私自身も子供の頃を過ごしたことがある、言わば故郷でもあったりする場所。当たり前な話ですが、いつの間にか年とった母親にせがまれての帰省です。

>>> 奄美大島 加計呂麻島への旅(2016年)

諸鈍という集落は瀬戸内町の中心地、古仁屋(こにや)の港からフェリーか海上タクシーを利用して、生間(いけんま)という港にアクセス、生間から小さな峠をひとつ超えた、加計呂麻島では一番大きな集落です。

奄美大島は、源平の戦いで敗れた平家と縁が深く、数々の伝承が残っており、諸鈍を語るに、平資盛は外すことは出来ません。

後ほど詳しく紹介しますが、平資盛が伝えたという諸鈍シバヤ、奄美島唄で謳われる諸鈍長浜にデイゴ並木、若い頃は面白くもなんとも無かった島が魅力的に感じる今日このごろ、諸鈍をたっぷり満喫してきました。

諸鈍シバヤ

諸鈍シバヤ

生間の港から諸鈍を目指して峠をひとつ超えると、諸丼の集落に入る入口にあるのが大屯神社(おおちょんじんじゃ)です。

大屯神社の御祭神は、平家の落人である平資盛。(たいらのすけもり)

旧暦九月九日になると平資盛が村人との交流をはかるために伝えられたという諸鈍シバヤが行われます。シバヤというのは芝居という意味。日本の芸能研究の先生の話では、いわゆる芝居ではなく、歌舞伎初期の踊りが諸鈍風に定着したものだといいます。

ユニークな面を付けて三線、太鼓や指笛、囃子にのせて舞い踊り、諸鈍の集落の楽しみとして受け継がれてきたもの、今では国指定の重要無形民俗文化財として、奄美島内だけではなく、全国各地で諸屯シバヤの公演が行われています。

諸鈍シバヤの内容

出演者はシバヤニンジョウ(シバヤ人衆)と呼ばれ、すべて男性で構成されます。

その諸鈍シバヤの内容を少し紹介すると、例えば「ダットドン」と呼ばれる演目。ダットドンは座頭殿という意味で、座頭が訛ってダット、殿はドンです。

ダットドンは、盲目の法師の物語で、この法師が自分の持っている琵琶の名機をいつの間にかすり替えられて、それを探し歩く様が演じられます。川向うから自分の琵琶の音が聞こえてくる、杖を使ったり石を投げたりしながら、琵琶を探す様が面白おかしく演じられます。

そもそも、琵琶などは奄美にはありませんから、先の歌舞伎踊りだという話などと合わせて、遠い昔に内地からやってきた異国の文化がこの諸鈍という村にこうして根付いたと思うと、平家の一族が伝えたという話が真実味を帯びるのでした。

何を隠そう、私の一族は、この諸鈍シバヤには深く関わる家だったので、シバヤには幼い頃から触れており、懐かしい以上に思い入れがあります。

上の画層は三つになる従兄弟の保育所に通う子供がシバヤごっこをして遊ぶ為に作ったシバヤ面。毎年九月九日を楽しみにしています。あとの祭ですが、我が家の古老たちに、もっと話を聞いて置きたかったなと後悔ばかりです。

 

チヂン太鼓

そして、画像は今回の戦利品のひとつ。もう30数年前にもなるでしょう、亡くなった祖母が使っていた、チヂン太鼓が出てきました。大事に修理して、使ってやりたいと思ってます。

 

諸鈍のデイゴ並木

諸鈍 デイゴ並木

画像はシマ唄にも歌われる、諸鈍長浜沿いのデイゴ並木です。この延々と続くデイゴ並木が真っ赤になる様を見ることが出来るのは後半月ほど先でしょうか。

近年はデイゴヒメコバチという害虫の影響で花ぶりがよろしく無いと聞いていましたが、今年は久しぶりに期待が持てるとのこと。

樹齢300年ものデイゴが一斉に花を咲かせる姿は圧巻、花が散って地面までもが真っ赤に染まっていた様を思い出します。

デイゴの花

画像は咲き始めたデイゴの花です。久しぶりにデイゴの花を見ました。ザ・ブームの「島唄」を知っている方は沢山居ると思いますが、島唄の中に出てくるデイゴの花を思い浮かべることが出来る方は少ないハズです。

相手は自然なので、盛期の花をみることが出来るのは、ほんの一瞬の間だけ。自分自身が生きている間に、子供の頃に目にした青空の下の赤の世界を見ようと思ったら、よっぽど狙って足を運ぶ必要があるのは間違い無いでしょう。

いつかあの光景を写真に収めることが出来た際には、また紹介させて貰います。

デイゴ並木のポスター
(ホライゾン編集室 ポスターギャラリーより)

「ふる里の色を覚えていますか?」

諸屯出身者には身に染みる懐かしいポスターです。

 

諸鈍長浜

諸鈍長浜

諸鈍の集落にそって延々と続く砂浜が諸鈍長浜です。これもまた時代の流れ、私が子供の頃の諸鈍長浜は、浜から眺める桟橋も今の半分以下の小さな港で、私の身体が大きくなったということを差し引いても、もっと広い砂浜だったと記憶します。

奄美の島唄の中でも有名な曲に、そのものの「諸鈍長浜」という唄がありおます。その諸鈍長浜の碑が、先に紹介した諸鈍シバヤの大屯神社(おおちょんじんじゃ)の前にありました。

諸鈍長浜節

諸鈍長浜節の動画

加計呂麻の島唄といえば武下和平。竹下和平先生が唄う諸鈍長浜です。

諸鈍の長浜に 寄せては引く波は
諸鈍の娘の笑った白い歯を思わせる

諸鈍の長浜は 本土まで名前が聞こえる
諸鈍の娘の美しさは島中に知れ渡っている

標準語に意訳するとこんな感じでしょうか。諸鈍長浜をたたえた歌詞が延々と続き、島唄を演る者にとっては、一度は足を運びたいという場所なのです。

ちなみに、動画内で相方を務める女性の方は、大阪で私が足繁く通う島唄教室の早田信子先生。お二人とも、すこぶる若い。

 

上田製糖工場

上田製糖工場

諸鈍の集落の入り口に上田製糖工場があります。毎年春になると製糖が始まり、もちろん私はここの黒砂糖が好物なのはいうまでもありません。

生産量が少ないので入手は極めて困難。土産物屋に立ち並ぶことはありません。

ところが、大阪で諸鈍出身者が集まる唄遊びの場に、この上田製糖工場で季節になれば今も砂糖を作りに帰省する縁者の方がいて、その方を通じて砂糖を入手することが出来るのでした。

がじゃ豆

画像は上田製糖工場の黒糖と地豆(落花生)を使って作る、奄美大島の名物の一つ「がじゃ豆」。土産物屋に並ぶものとは違う、おかんの味、絶品です。

 

諸鈍小学校 中学校

諸鈍小中学校

諸鈍小中学校もまた懐かしい場所。明治11年に開校された学校で、母親の時代からある校庭の大木は、もちろん子供の頃の私も見上げていた木。

向かって右側の門柱には「諸鈍小学校」、左側には「諸鈍中学校」、小中一緒で、もっというと小学校は1年生と2年生が一緒の複式学級。平成29年の今年度は、生徒が小中合わせて15人、職員が12人。過疎感はやっぱり半端なく、いずれは消えてしまうのかもしれません。

 

加計呂麻島展示・体験交流館

加計呂麻島展示・体験交流館

夜に見るとちょっと怖い、シバヤ人衆が壁に描かれている、ひときわ大きい白い建物が 加計呂麻島展示・体験交流館 です。2015年4月にオープンしたばかりの体験交流館。体験メニューやステージや映画館などもあってイベントなども定期的に開催されているようです。

結構お土産なども揃っていて、諸鈍シバヤのTシャツなどはここでしか買えないんじゃないかと思いますが、そもそも諸鈍にはそんなに沢山の人が訪れるわけでもなく、何時来ても閑散としているのが残念。

ネットを生業としている者としては、ネットでの情報発信に力を入れつつ、ネットで島の物を販売するなどして、人が来なくても成り立つ環境を整備しなければ、この立派な建物がもったいない以上に、いつか運営出来なくなってしまうと心配せずにはおれません。

 

加計呂麻島へのアクセス

加計呂麻 生間

奄美大島へは、飛行機やフェリーでアクセスします。

私の住む大阪から奄美空港へは、関空からLCCが2017年の春より飛び始め、奄美がリーズナブルに、近くなりました。

東京 羽根田、大阪 伊丹、関西空港、福岡空港、鹿児島空港から奄美空港へは直行便でアクセス出来ます。各地からLccが飛ぶようになって、本当にリーズナブルにアクセス出来る様になり嬉しい話です。

お金が無かった若い頃はフェリーでのんびり奄美へ行ったもんです。フェリーは東京 有明埠頭、大阪 南港、鹿児島港から名瀬港へとアクセス出来ます。

東京からは約40時間、大阪からは約30時間、鹿児島からは11時間。海を眺めながら贅沢な時間を過ごすことが出来る船旅です。時間があれば海路も悪くありません。

ところが、このフェリーもLCCの格安便の登場によって阪神航路、東京航路の旅客便が運行休止となった様子(2017年)。またのんびりと奄美への船旅をしたいと思っていた矢先、寂しい話です。(鹿児島からのフェリーは動いてます)

奄美空港からバスやレンタカーで奄美の中心地、名瀬までが一時間足らず、名瀬から加計呂麻へのフェリー乗り場がある古仁屋の港へは、陸路で一時間半ほどかかります。

古仁屋港から加計呂麻の入り口、生間の港まではフェリーかけろまで20分ほど、海上タクシーを利用すると15分といったところでしょうか。


スポンサードリンク


コメントを残す